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2010.08.02-08.08
瀬戸正人 Seto Masato
さらば、銀の粒 Goodby, Silver Grain
Goodbye, Silver Grain 〈さらば、銀の粒〉
「さよなら」と、いつキミに言えばいいのか未だにわからない。
できる事なら、別れの言葉など言わないで済ましたいと思っている。
何も言わないまま、キミがいるあの部屋をそっと抜け出て、
光が飛び交う外界へと、身を移してゆきたいと思いはじめて数年になるだろうか。
いや、実は今でも自分から出て行きたいと思っている訳でもないのだ。
もし出てゆくなら、こうして別れの言葉を言うべきだろうと思いながらも、
この場に及んでさえ、決断できないでいる。
キミはいつも光を恐れていた。
僕もキミのことを想い、光を恐れながらあの暗がりに潜り込んだものだ。
赤く仄暗いあの暗がりが、夜の海のようにどこまでも広がっている部屋、
光を避けて僕とキミが密会をくり返したあの部屋に、今もキミがいる。
これからも、キミはそこにいるしかないのに、僕の身勝手で出てゆくことができようか。
30数年前、あの暗がりでキミに出会った日のことを僕はよく憶えている。
闇に潜むキミの姿を見ようと、恥じらうキミに光を当て、拡大して覗き込んだのだ。
すると、キミは夜空の星屑のように、
真っ白な紙に黒い点として散らばるばかりで、ほんとうの姿など見せてはくれなかった。
光に透かしたキミの影を、僕は見ていたに過ぎないのか。
僕はその影ではなくキミの姿そのものを確かめたくて、キミを魔法の液に浸けたのだ。
精液にも似たヌルヌルした液の中で、キミが悶えながら姿を見せたのを鮮明に憶えている。
感光したキミのキメの細かい肌をメトールが襲いかかるのを僕はただ見ている他なかったのだ。
たった2分間の出来事だった。
液の中を泳ぐキミを、撫でる指さきがよく憶えている。
キミは、あの荒々しいメトールに何をされたのか、
白い紙の上で見る見る黒く変色し、ひとり固っていたのだった。
「ビーチボーイと戯れているうちに、日に焼けてしまったのよ」と、キミは言う。
しかし、そこは夜の海、写真が生まれる暗がりなのだ。
銀の粒子・・・キミの名を<粒子・リュウ子>と名付けようと思っている。
僕はリュウ子と写真の話をしなければならないのだ。
リュウ子の正体をもっと知らなければならない。
それは、決してリュウ子との別れを前提としているのではないが、
別れる覚悟をもって臨むしかないのだ。
僕はこうして銀の粒子・・・リュウ子との対話を通して、
写真を撮りはじめた30数年前に立ち帰って、自分を検証しようと思っている。
1年ほど断続的にこのミニ・ギャラリーで展示しながら、
自分が何を見て来たのか確かめるつもりだ。
それは、写真だけでなく、光を恐れるリュウ子へのラブレターでもある。
そして、もし、あの子に別れを告げることになれば、
どうしても、リュウ子がいるあの湿った海の底のような暗がりに戻れないのであれば、
その時は、最後のモノクロ写真集として取りまとめたいと思っている。
「Goodbye, Silver Grain・・・さらば、銀の粒」
瀬戸正人
瀬戸正人 せと・まさと
1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ
1973年 東京写真専門学校(現、東京ビジュアル・アーツ)を卒業
1976年 森山大道・写真塾に参加
1978年 岡田正洋写真事務所に勤務、そこで写真家・深瀬昌久氏に出会い、助手になる
1981年 フリーになり、瀬戸正人写真事務所を開設
1987年 自らの発表の場として、山内道雄氏とギャラリー〈PLACE M〉を開設
1990年 写真集『《バンコク、ハノイ》1982-1987』で日本写真協会新人賞を受賞
1995年 「写真都市TOKYO」展に出品。「《Living Room,Tokyo 1989-1994》」に対して東川賞新人作家賞を受賞
1996年 写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞受賞、第8回写真の会賞受賞
1999年 『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞を受賞
2000年 小説を書き始める。『群像』8月号、第1作「赤土と轍」発表
2001年 『群像』6月号、第2作「輝く船」発表
2002年 『トオイと正人』が『アジア家族物語』として文庫化(角川文庫)
URL : http://www.setos.jp/
ミニギャラリー Mini Gallery
同上